医療系クズの雑記ブログ

いろいろあってブログ名変えました。クズ上がりです。

老害(交通編)

私は高齢者が嫌いだ。


いつかは自分も老いてしまうのだが、私はなるべくその時には『お荷物』とならないよう、自分が嫌いだとする高齢者にはならないよう心がけている。


高齢者が操作する乗り物は何であっても怖い

昨今、高齢者ドライバーによる恐ろしい事故が世間を賑わせている。

かくいう私も高齢者ドライバーに殺されかけた経験が何度かある。

歩道を歩いていると、娯楽施設に入るため、対向車が途切れるのを待って右折しようとする車がいた。そして対向車が途切れたであろう瞬間、歩道を歩いている私に突っ込んできたのだ。そして私に『どけ!』と言わんばかりに、けたたましいクラクションを浴びせた。私はとっさにかわしたので、轢かれはしなかったものの、靴は脱げてアスファルトで足は擦りむくわ、手荷物は落とすわ、落とした手荷物は轢かれるわで、ちょっとした騒ぎになった。ドライバーのジジイはただただ固まっていて、けして車から降りようとはしなかった。

一部始終を見ていた心優しい若者が私に駆け寄ってきて、『え、こういう時どうすればいいんすか?』


私が聞きたい


近くの自動車販売店の方が警察を呼んでくださり、事情聴取が始まった。

ジジイは対向車に気をとられるあまり歩行者に気づかなかったという。

年寄りだから。その枕詞で、ちょっと被害者寄りの供述を繰り返し、終始私をイラつかせていた。

そうなのだ。年寄りは一度に複数の動作や物事の認識をするのが極端に劣っている。でもその自覚はない。

そしてどんな状況下でもあくまで自分は被害者だと言い張るのだ。


この場合の人と乗り物の上下関係は、

人 < 車(高齢者)なのである。

その後いろいろあったが、それはまた別の機会に書こうと思う。


二輪車であろうとも油断してはならない


颯爽とスーパーカブにノーヘルでまたがり、肩には鍬を担ぎ、くわえタバコで走り抜ける高齢者。私の住む田舎ではよくある日常風景だ。もはや公道も私有地化している。のんびりとしたのどかな田舎の風景ではない。それは、外出するのに歩行者がヘルメットをかぶりたくなるほど危険な高齢者による町内アトラクションと言ってもいいだろう。

左右確認など彼らの辞書にはなく、『何それ、美味しいの?』状態なのである。

やはり高齢者の交通法規のガイドラインは昔のままで時が止まっている。

この場合の人と乗り物の上下関係は、

人 < 二輪車(高齢者) > 車であり、二輪車(高齢者)である自分が圧倒的支配権を握っているのだ。

車と衝突しようものなら、この時ばかりは弱者を装い、過失割合の矛先が少しでも自分に向けられると


手がつけられないほど荒れ狂う』



電動カートの恐怖

この乗り物は速度も遅く、歩行者扱いとなるため問題視されないことが多いのだが、忘れてはいけない。この乗り物も高齢者が操作しているのだ。

歩けないけれど社会生活を営んでいる健気な高齢者だと思ってはいけない。

安全であるはずの乗り物が、高齢者の操作ひとつで走る凶器へと変貌するのだ。

まず絶対に後ろを気にしない。進むのも止まるのも自由なのである。もうここは彼らの私道なのだ。歩道で渋滞が起こる小さな奇跡はこいつらが原因だ。

点滅している信号を渡り始める。急ぐそぶりなど全くない。急ぐつもりもない。その目は進行方向だけを見据えているのだ。

小学生児童の列に突撃する。高齢者が通るのだもの。道を空けるのは女子供なのだろう。通学中だろうが児童が横断中だろうが関係ない。


交通関係でいうとこのようになる。


明らかに判断能力の衰えからくる暴挙や無双っぷりは、非常に優秀な反面教師として、誰かの役には立っているように思う。


老害と呼ばれる高齢者の問題行動は他にももっとあるのだが、とりあえず今日はこのくらいにしておいてやろう。