医療系クズの雑記ブログ

いろいろあってブログ名変えました。クズ上がりです。

元スロマガのBOSSに会うならやらねば

私は今猛烈に会いたい人がいる。


会わなければならないと言ってもいいくらいの人だ。亡くなったパートナーではなくちゃんと生きている人で、現在も細々と活躍されている人である。


佐藤好孝さん、通称BOSSと呼ばれている人だ。実名を言ってしまったが、彼はメディアの人間でYouTubeにも動画をアップしておりその筋では有名な方なので問題ないだろう。


7/18追記

BOSSのブログを発見してその記事の中でご自身の名刺の写真をアップされていたのだが、名前にボカシが入っていた。ご本人様がこのクソブログをごらんになっているかは分かりかねるが、もしBOSSと近しい方で「実名はあかんやつじゃね?」というご指摘などがございましたらコメントいただければ幸いです。並びに不愉快な思いをされましたらお詫びいたします。

あくまでメディアで活躍されていた方ですので実名にて記事を書かせていただいてます。



彼は元パチスロ攻略マガジンのライターであり現存しているパチマガ攻略軍団の初代リーダーだった人だ。元パチンコ店主任兼釘師からスロマガ専属ライターへと転職されたようだが詳しいことは分からない。

現在では水瀬美香さんやさん、梅屋シンさんを始めとする超売れっ子パチスロライターがいろんなメディアで活躍されているが、佐藤さん(以下BOSSで統一)はそのハシリではないだろうか。YouTubeの動画を観るとBOSSの活躍は昭和を感じさせるザラついた4:3の映像にたくさん残されている。カメラワークも音声もグダグダなのだが、あの時代を生きた人たちにはなんか刺さる映像なのだ。VHSの裏ビデオの無意味な冒頭シーンを彷彿とさせる雑な作りがまたいい。


現在は東京都内でタクシーの乗務員をされていて、ツイッターなどでも仕事の依頼を受けてらっしゃるようなので、ただ会うだけなら昔ほど敷居の高い人ではない。だがパチスロ雑誌というアンダーグラウンドなメディアではあるが、一時代を築いた人がタクシー乗務員へ転職するということは相当な覚悟をもってのことだろう。

パチンコ関係の仕事も受けてらっしゃるみたいなのでYouTubeを始めとするネットメディアへの露出もぼちぼちあるようだ。

食ってくのにプライドはいらない。使えるものは何でも使うという私のポリシーと似ているような気がする。


私と彼はおそらく同年代のはずだ。(後でプロフィールを見たらニコ上だった)1990年後半から2000年初頭あたりの動画がYouTubeにたくさんアップされている。パチンコやパチスロが本当に楽しく相当に胡散臭かった時代のものだ。


おそらく当時は営業や取材、いろんな企画で相当潤っていらっしゃったと思う。以前のエントリーでも書いたが、私が好きな昭和の世界観や栄枯盛衰を彼からは感じるのだ。パチスロライター界もいろんな足の引っ張り合いや世代交代があったのだろう。

現在でベテランと呼ばれるライターでよく見かける方といえば大崎一万発さん、ヤングさんあたりか。BOSSとの共演もあるのだが、当時の大崎さんはロン毛でヒッピーのような見た目がヤバい気持ち悪い人という印象しかない。ヤングさんはいつでもどこでもテキトーな感じだしね。大崎さんやヤングさんがメディアでガーッと来たのはあくまで最近の話なのである。今の彼らは割と好きなんだけれどね。

やはり私の青春そのものといった時代を一緒に過ごした方はBOSSでありしのけんなのだ。よしっ


雑誌の企画かなんかは知らないが、BOSSはしのけんと一緒に旅打ちで全国各地を周っていた。同じ雑誌で同じ釜の飯を食っていたといったところか。他にもなんかすごいバカバカしい企画もやっていらっしゃった。今なら絶対誰もしないであろう「1時間ガチンコ勝負!」とかw 1時間でどないせーっちゅうんじゃ。番組自体もパチンコを全然知らないやつが作ったのだろう。ナレーションも「いやいやいやそこじゃないから!」と突っ込みたくなるようなクソ原稿だった。大崎さんもBOSSもよくあんなオファー受けたよね。いやーいい時代だった。

現在のBOSSは職業柄なのかYouTubeの「名機列伝」で見られるような天然ぽいユルいただのおっさんなのだが、しのけんと旅打ちしていたころのBOSSは大層尖った感じの非好青年だったのだ。


え…こんな人だった


別人かと思ったくらいだ。しかしパチマガのBOSSと言えばこの人しかいない。すげえドSキャラのイメージだったのだが。いつからかキャラがブレてたような……カドが取れたというか。

なんか腑に落ちない感じはあったが、なんとなくいい年の取り方をされていてホッとしたのを覚えている。今もパチンコ業界で現役バリバリでないところにも好感が持てた。だらしない腕時計のはめ方も当時のままだ。しかし服のセンスはやや当時の面影を残しており「昔ヤンチャだった」ことを連想させる出で立ちなのである。それだけが失敗している年の取り方ぽくてちょっと残念かな。


当時のBOSSの旅打ちシリーズはリアルでは見ていなかった私だが、偶然見つけたYouTubeで見られるその映像は私の青春そのものであった。居ても立っても居られないくらいの衝撃を受け鳥肌がたち血が騒いだ。

彼はメディアの人間で私は一読者に過ぎなかったのだが、BOSSのしていたことは当時の私が願ってやまないことだったのだ。単に旅打ちがしたかったわけではない。ただ懐かしいという言葉だけでも済ませたくない。

安っぽい言葉でしかこの血も煮えたぎるほどの熱い思いや、どうしようもないほろ苦い気持ちを表現することができない自分の文才の無さに辟易する。


当時の私はパチンコ、パチスロ雑誌を買い漁り、それこそ隅から隅まで貪り読んだ。情報を発信する側になりたかったし、勝ち組になりたかった。雑誌のおかげでかろうじて勝ち組に引っかかってはいたものの、地元の7枚・8枚交換に苦しめられていた。今の私なら迷わず上京しているだろうが、当時の私にはその勇気と覚悟がなかった。私は遠い地からBOSSたちパチマガ編集部の発信する情報だけを頼りにパチンコ・パチスロ三昧の青春時代を過ごしていたのだ。

群れるのがキライだった私は鉄火場と化したパチンコ屋に開店2時間前から一人で並び、当時は誰もしていなかったデータ取りや小役出現率からの設定判別、通常時の小役狙い、時間効率の考慮、ビタ押し攻略までやれることはなんでもやった。その頃から私は変人と呼ばれ、常連やホール関係者から煙たがられるようになった。

他にその熱意を注ぎ込めるものがあったなら、私はその他の分野で大成していたかもしれない。

現在のチャラチャラしたスロプーなどとは訳が違う。ちゃちなデータ表示器しかない時代を生き抜くため、ありとあらゆることを試行しパチンコというギャンブルに全身全霊を捧げていたのだ。

それほど熱くて孤独な青春時代を過ごさせてくれたのだ。まあ当時のクズっぷりは否定しないよ。しないけれどもさあ。

クイーン・パワフル・エキサイト・アレジンはほんとよく打った。

権利モノではソルジャー(攻略法なし)とかミルキーバーを狂ったように打ってたな。

意味もなく東京行って渋谷のマルハンで冒険島(2回ループ)を3日ほど追っかけたり。あ、おばけランドも好きだったな。

スロットはコンチIII(裏)のスーパーラッシュを経験してからはそれこそもう理性を失って打ってたし、ちゃんとしたスロットではアルゼのクレイジーレーサーが好きだったなあ。獣王とかは好きだったけれど、他の好きな機種を思う存分負けれるように勝ちに徹して打ってた記憶がある。掴めば勝てたからね。これがまた掴めてたんだよね。

ほんとクズだわw

ちなみにスロットではサミーのキャッツアイが私史上最高傑作機種だと思ってるw

その熱いキャッツアイ愛(言いにくい)は、キャッツアイ被害者の会会長でもある私がいつかまた書こう。あ、わたくし榎本加奈子被害者の会会長でもあります。名機だよ!BOSS!名器じゃねえよ!


話が逸れたが、BOSSがアップしている映像はパチンコ業界のアンダーグラウンドな感じが美化されてもなくいい感じに溢れ出ており、まだ昭和が色濃く残る街並みに「無理やり建てました」感がハンパないパチンコ屋もたくさん登場する。やっぱり何かがおかしかった時代なんだなあ。


あの時すべてを捨てて上京していれば、私は土下座でもなんでもして攻略軍団に入れてもらっていたかも知れない。友達もいなかったし捨てるものなんてなかったはずなのに。時すでに遅しなんだけれど。パチスロメディアで一時代を築き、私の青春時代すべてを捧げ、激動の時代を一緒に駆け抜けたBOSSには面識はないけれど本当に感謝している。

と、同時に責任も取ってもらいたい

よくある「私はあの人を知っているけれど、あの人は私を知らない」みたいな話なのでBOSSにしてみれば迷惑な話だろう。


今ここで初めて書くのだが、私は足に少し障害があり(先天性ではない)車がないと移動できない。30分ほどの犬の散歩くらいが徒歩の限界で、公共の乗り物や混雑している駅などは怖くてとても近寄れない。チンタラ歩いていて後ろから舌打ちを浴びせられることもしばしばある。BOSSが東京でタクシーの乗務員をしているというのはなんかの巡り合わせみたいである。

今は溺愛している犬たちがいるのでこの場を動くわけにいかないが、身軽になれば今の居住地にこだわる必要もないので、その時こそすべてを処分して上京でもしようかな。


上京まではしないかも知れないが、生きていれば東京に行くことくらいあるだろう。その時こそBOSSのタクシーをチャーターして私の青春時代を奪った感謝の恨み節を伝えてやろう。


今振り返ってもクズな私の人生に刺激を与えてくれ、かつ記憶に残っているのは亡くなったパートナーとBOSSだけなのだ。


クズな私がこんなにも熱くあの時代でひっそりと輝き続けられたのは他でもないパチマガのBOSSたちのおかげなのである。あれほどまでに毎日が熱くてワクワクした経験は後にも先にもないだろう。孤独な変人である私がいつまでもしがみついてる絶対消したくない思い出だ。

彼らは素晴らしい経験と忘れられない青春時代を過ごさせてもらった私の大切な人たちなのである。




BOSSへの仕事の依頼は彼のツイッターにかけるようなのだが私は3大SNSをしてないんだよな。



BOSSに会うというのは、私が死ぬまでに絶対行いたいイベントのひとつなのだ。だから東京へ行く機会があったら何が何でもBOSSのタクシーを手配して乗ってやるのだ。いくらかかるのかは知らんが滞在中貸し切ってもいい



まあ実現まで何年かかかったとしてもBOSSも私も生きていればなんとかなるよね。



〜追記2

BOSSのブログは昔に戻りたいとか過去の栄光にしがみついてるものではなく、なんとか毎日消化してるぜーwみたいな近況報告や今の仕事の話がメインのブログだった。

なんか安心したわ。