医療系クズの雑記ブログ

いろいろあってブログ名変えました。クズ上がりです。

こんな私が私に決着をつけたいことがある件。

とあるトンネルがある。


もう20数年程前の話になる。私は免許を取り立てのイチビリたい盛りだった。全国的に見ればハナクソのようではあるが、一応国立大に合格したのでその合格祝いに車を買ってもらった。


スカイラインGTS-T typeMだ。時代を感じる。今では絶対チョイスしない車だ。


本日2度目となるエントリーはちょっとホラー要素が入っている。先ほど「AVに出てきそうな黒い人」が経営するお店で課長たちと飲んでいるときにホラー的な話が出たので、ついでに思い出した私の過去だ。


私たちの職場は死を扱う。そういう部屋もある。いくら私がリアリストでもやっぱり不気味だ。できることならあまり近寄りたくはない。


マ「へー。そこでなんか怖いエピソードとかあるの?」

私「ないないw」

課「他の職員は出たとか見たとか言ってるけど実際どうだかなーw」

私「ご遺体がある時は腐敗しないように室温はかなり低くしてあるから近寄ったら当たり前だけれど寒気はするなあ。でもほんとそれだけ」

課「基本的に処置済みの遺体だから死後直後みたいに動いたり音がしたりはない」

A「俺初めて見た時ショックだったわー」


Aが言うのはご遺体を運搬する時のことだ。

死亡診断を受けた患者は硬直が始まる前に個室に移動してエンゼルケアという処置を行う。手伝ってくれる家族もいるし、拒否する家族もいる。家族が居ない方もいる。

髪や身体を洗ったり詰め物をしたり。それらが済むと着替えをしてもらう。

そのエンゼルケアは基本的に私たちがすることはない。しかしそれらが済むと、遺体を安置しておく部屋までスムーズに運搬できるように、時間によっては私たちがエレベーターを止めたり人を止めたりして通路を確保する。ケアが終わると職員で連絡を取りながら、他の人になるべく見られないような配慮をして運搬をスムーズに行い安置室まで送り届ける。

ウチの職場では基本的にその方に関わった者すべてが安置室まで同行する。時間問わずだ。呼び出される者もいる。

とても悲しい時間だが、私たちは冷静で居なければならない。それも辛い。


その話はまた別の機会に私の経験も交えて書いていこうと思う。たぶんいい話だ。


それはさておきトンネルの話に戻ろう。


免許取立ての私は定番の心霊スポットなんかによく行っていた。今と同じく心霊スポットなんかには興味はなかったのだが、当時は若いだけのクズだったので、そういう雰囲気が好きだったのだ。「酒は飲まないのに飲みの席の雰囲気が好きで居酒屋に着いて行くヤツ」と言えば想像がつくだろう。


そのトンネルはいわゆるよくある普通のトンネルではなく、とある企業の作業専用トンネルとでもいうのか乗用車がやっと1台通れるほどの幅で、トンネルの中央は水はけ用の幅50センチほどの溝がトンネルの入り口から出口まであった。その溝の上にはコンクリートで作った蓋があるのだが、劣化などで粉々に砕けた部分もあり運転には細心の注意が必要だった。溝にタイヤがはまったら大ごとである。まあ運転初心者の私にはなす術がない。


そういったトンネル(長さは100メートルくらいはあったと思う)が何個かあった。近くには民家がなくおそらく企業の私有地だったはずだ。全国にある有名な企業で誰でも利用したことがある企業だ。昔は国営だった。


そのトンネルの最終地点は、まだ先があるのに金網で塞がれて程よく朽ちている「ちょっと怖いやつ」だった。


私たち若造4人組は長くて別の意味で怖い(危険な)トンネルをくぐり抜け最終地点まできた。期待してたほど怖いこともなく、誰ともすれ違わず(基本的に一本道一車線でトンネル内では対向は絶対不可能)ちょっと落胆しながら帰路についた。


たぶん2つ目か3つ目のトンネルを抜けようとした時である。

トンネル内に灯りが見えた。


トンネル内での対向は絶対不可能なので私たちは車を少し脇に寄せその灯りがトンネルを抜け通り過ぎるのを待った。


遅い。当たり前か。トンネル内は狭く運転にも注意しなければ溝にはまって身動きが取れなくなる。それにしても遅い。灯りは見えている。近づいてはきているが。それにしてもおせえ。ヘタか。

その瞬間灯りが消えた。一瞬何が起こったのか分からなかった。トンネルは少なくとも100メートルはあり、一旦トンネルに進入すると出口までは一方通行で途中には待機場所も何もない。灯りは間違いなく近づいてきていた。テールランプではない。間違いなく白い灯りだった。仮にバックで戻ろうとしてもトンネル内ではほぼ不可能である。ライトを消す理由もない。

それに私たちを戦慄させた事実がもうひとつある。


トンネル内に入ると緩やかな登り坂になっており中腹あたりで緩やかな下り坂になっているのだ。つまり私たちが灯りを目撃した時点でその灯りの主はトンネル内に進入していたことになる。その灯りの主が下りに差し掛かかる頃に灯りが見えるような構造なのだ。

天井に灯りが反射していた可能性も大いにある。しかしなんと言うか記憶も薄れているのだが、ハイビームのような眩しさだけは全員の記憶に焼き付いているのだ。集団トランスなのか?

バイクではないはずだ。トンネル内はかなり音が反響するためバイクのエンジン音はたぶん相当響く。


私たちはしばらく固まっていた。いろんな可能性を考えた。落盤、百歩譲ってバックでトンネルを出た、やっぱりバイクで途中で引き返した、それともそれ以外の何か。


私たちはこの状況で車でトンネル内に進入することに躊躇した。落盤なら途中でバックで引き返さないといけない。引き返したとして後ろは行き止まりがあるだけだ。私有地なので他に出口があるのかも分からない。


歩いてトンネル内に進入し、確認しに行くのも躊躇われた。八方ふさがりである。夏場だったのであと4時間ほどで夜が明ける。待つか?行くのか?


私たちがとった行動は、トンネル内調査班・車で待機班の2つに分かれて、まずトンネル調査班が徒歩でトンネル内に進入し、何事もなければ特定の法則でライトを点けたり消したりして私たちに進入許可を出す。待機班はパッシングなどでサインを出しながら車で進入する。そしてトンネル内で合流して脱出。という筋書きだ。


車の所有者は私なので当然待機班だと主張する。

友人「いやなめんな。公平にいこや」

私「なんでやねん。お前アホか。お前ら運転して車擦ったらどーすんねん」


小一時間ほどモメたように思う。「じゃあもう朝まで待てよ」とあの時の私に言いたい


私は昔からニブイチに弱い


しかも他人が運転して傷つけられるのがイヤだったので、私ともうひとりがトンネルの出口付近まで徒歩で行ってまた戻って私が運転するという効率の悪い方法をとることになった。だからみんなで行こうという案は却下された。


私は懐中電灯を手にやたら蒸し暑いトンネル内に足を踏み入れた。コウモリもいる。かすかなアンモニア臭と水の流れる音が遠くから聞こえていたと記憶している。緩やかな登り坂だが歩くと結構しんどい。下りになるまでは50メートルほどだと思っていたのだが、体感ではもっと登り坂を歩いたような気がする。トンネル内は見たこともないような虫や絶対危険なでっかい蛾が至る所にいた。


やっと下りに差し掛かる。なんともなさそうだな。後ろを見ると車のライトが見える。

さらに下りを進む。水の音が急に近くなった。ほんとに急にだ。ちょっと怖くなった。

出口が見えてきた。あれ?なんともないな。途中では曲がるところもなかった。後ろを見ると私の車のライトがかすかに天井に反射している。ほんとにかすかにだ。暗闇に入って目が慣れたころのようなぼんやりした灯りだ。


わたしは予想していた事実に恐怖を覚えた。やっぱり天井に反射してそれなりの光度を放つにはトンネル内にある程度進入してこなくてはならない。あれは本当に車だったのかそれとも…そう思ったら私と友人は駆け出していた。水の音が急に大きくなったところに差し掛かると水の音にまじって何か聞こえてるような気がする。

水の音はだんだん遠くなっていくのだが、それとは真逆に何か別の音が大きくなっていく。

近づいてきてる?

私たちは必死で走った。車のライトがはっきり見えた時、その何かの音は確かに私たちを追い抜いた。私たちはそれを確認し合いこの先の予想できぬ展開を恐れ、走るのをやめ少しずつ歩き出した。


トンネルを抜けると澄んだ空気を思い切り吸い、ソッコーで車に乗り込んだ。しかし私は車でもトンネル内に進入するのを躊躇し、結局夜明けまでその場にとどまった。


夜が明けるとノロノロと車を進入させた。徒歩で進入した時には気づかなかったのだが、トンネル内には少し凹んだ部分が何箇所かありそこには水で削られ角がとれたような丸みを帯びた地蔵らしきものがあった。


歩いてて気づかないのもおかしな話だ。今の私なら突っ込みどころとして追求してやるはずなのだが、いかんせん自身の体験なので何も言えない。


私はそういったものを信じない。このような経験もおそらく科学的に説明がつくはずだ。いくつかの条件が揃うと再現できるはずなのだ。たぶんね。

しかし私にはその知識も術もない。第一にあのトンネルが残っているかも定かではない。

ネットではだいぶ昔のマニアと思しき投稿があるのだが今現在の状況は不明だ。



バカ課長は笑いながら、

課「一応お前でもそんな経験しとるんやなw」

A「今度連れてってー。今の軽四なら楽勝でしょw」


実は私ももう一度行きたい。


だが現在ではなくあの頃にもどって仕切りなおしたい。


あの後もう一回行って己に決着をつけるべきだったと思っている。