医療系クズの雑記ブログ

いろいろあってブログ名変えました。クズ上がりです。

身内の恥を晒すようですが、私は恥だと思っておりません。

明日から東京だ。

朝11時台の新幹線で行くことになっている。私のクソブログによく登場する3人のクズたちと一緒だ。

東京に行くことになったきっかけは

Aたちの居ないどこか遠くへ行きたい。 - るいブロ

という過去のエントリーに書いてある。

 

実はこの後クズ3人が「前乗り」というよくわからない理由で我が家に泊まりに来る。

だいたいいつものことなんだけれど。

きっとAは明日から2泊3日の旅行だというのに手ブラでやってくるはずだ。

我が家にあるAの私物などをかき集めたら2泊3日の旅行くらいはまかなえてしまうのだ。それにあぐらをかいた結果が手ブラなのだ。もう意味が分からない。

バカ課長はバカのクセに大層出来た嫁をもらっているため、着替えくらいは持ってくるかも知れない。あくまで「知れない」だ。その辺は嫁の機嫌に準ずる。

私の主治医も似たようなものであるが、さすがに出張となると必要最低限のものくらいは持ってくるかも知れない。こちらもあくまで「知れない」だ。

 

だからお前たちはクズなのだ

 

あまり楽しみでもない旅行はさておき、まず私のクソ雑記ブログなんかにスターを付けてくださった奇特な方々へお礼申し上げます。

1億分の◯人。この数字はまだとても小さいものですが、こんな変人に注目してくれた方が◯人もいるということは、私には小さいものだとも思えません。この場を借りて改めてお礼を申し上げます。

 

 

さてまたちょっと過去の話である。

 

私には5つ年の離れた姉がいる、

 

身内としてあまり言いたくはないのだが、私の姉は

 

大層男グセが悪かった

 

今でいう「ビッチ」だ。さらに非常に飽きっぽい性格で、男も飽きるとゴミのように捨てていた。私はその捨てられた男からの電話をヤツらが諦めるまで「コールが鳴ったら必ず私が誰より先に電話に出る」という大役を仰せつかり、「居留守」という古典的な方法で諦めさせていた。

 

さらに言うと、

 

離婚ばかりしている

 

もうクセになってんじゃねえの?というくらい彼女は離婚を繰り返している。奇跡的に過去に離婚した相手との間に子どもはいなかった。子どもが出来ていたらまた違う現在になっていたかも知れない。

 

現在は大学生と高校生の娘がおり(私の姪)、姉は「何かを飽きずに継続する」というくだらない新競技で意味のない新記録を叩き出している。その記録は1秒単位で更新中だ。

どうでもいいわ。

 

 

その姉が変わりだしたころの話。

 

 

姉は現在の夫と出会い2人の娘を授かっている。姑は昔の人で「男の子を産め」という人だ。まだ元気に生きてしまっているらしい

 

最初の子は早産で900グラムという超出生体重児であった。母子ともに危険と言われる陣痛時間を乗り越え、誕生した我が子に対面した瞬間思ったそうだ。

 

私はこの子に会うために生まれてきた。

 

運命を信じたくなる言葉である。

ただ世間ではその言葉を何回も使うバカが多いのも事実だ。そのバカは自分が錯覚を起こしていることに気づいていない。あなた騙されてますよ。被害が小さければいいですね。

 

それはいい。姉は確かに変わった。結婚当初は私に「何もしないクソ亭主」「いつ離婚しよう」と言っていたし、妊娠が分かったときでも「今ならまだ間に合う」とか言っていた。

 

最初の子が生まれてからの姉は昔のクソビッチ時代を思わせることなく、ただひたすら我が子に愛情を注いでいた。

超出生体重児だったため後に障がいが出てくる可能性もあったらしいのだが、「それでもこの子がいい」と言っていた。

姑とはそのことで大層モメて本気で人殺しをしそうになったと後に告白している。

その子は障がいが出てくることもなく現在は元気に私が中退した元母校に通っている。

その3年後に次女を授かる。姉は最初の子と同じく愛情を注いだ。姑は口を出したら「今度こそ本当に殺される」と思ったのか何も言ってこなかったそうだ。

 

昔の派手な姉を知っている私は別人を見ているようだった。2人の姪はなかなか聡明で母親が大好きな娘に育ち、どこへ行くにもいつも一緒だ。「ママ、◯◯くんとデートやねんけどこの服でいい?」とかドラマでありがちな風景もよく見たものだ。

 

私とパートナーが大変だった昨年は本当に世話になった。ビッチだったころの姉は身内の私にさえとてもシビアで、絶対助けてくれるような人間ではなかった。

そんな姉が私のいきつけのカフェのマスターと連携を組み、私たちの代わりに買い物や食事を届けてくれたりした。

 

 

そんな姉の亭主が昨年の冬に脳梗塞で倒れた。私がそれを知ったのは6月の下旬ごろだった。正確には脳梗塞で倒れたことは父親から年明けくらいにふわっと聞いていたのだが、詳しい現状を知ったのが今年の6月下旬だった。

 

姉の亭主は介護が必要になっていた。

 

あの働いたことがない姉が現在はラブホの清掃のパートをしている。私は姉が何も言ってこないことを不思議だとは思わなかった。姉はプライドが高いのだ。私はそれをくだらないプライドとは思わない。私にも姉についていろいろ思うことがある。あくまで憶測なのだが、私の助けはまだ要らないと考えての行動のはずだ。

 

余計なことはまだしないでおこうと思う。

 

私が今余計なことをするのは迷惑以外の何者でもない。

 

きっと大変だが充実しているのだろう。

 

姉が長女と一緒にパートに行ってるのを知ったときそう確信できた。