昨日、職場でふと思ったこと。
飛び抜けて賢くなくていい。クズでもいい。
でも飛び抜けてクズでバカな社会人はいらない。
私がかつて、たまーにおこなっていた新人の指導教官を完全に外されてから、もう6〜7年になる。
どうやら私は、現在の【ゆとり脳】を持つ若者の指導には不向きなようである。現在の「腫れ物に触るかのような若者に対する接し方」なんかを推奨する世間の風潮にもたぶん適応できていない。あんなのバカバカしいとさえ思っている。
自慢じゃないが、私は過去に担当した新人から【ワガママにしか思えないようなクレーム】をつけられたり、泣かれたり、辞められたりしたものである。
別に後悔はしていない。
そこまでのヤツなのだ。
他では大成するかも知れない。そーゆーヤツもいた。ウチでは(私には)残念ながら、腫れ物に触るような教育を施してまで大切に育てたい人材ではなかった。それだけだ。(かなり私的意見だけど)
はたらく。
当たり前だが、それには報酬が絡む。
はたらき方にもいろいろあるが、私は新卒で入社してきたヤツに、
- シフト自由!
- 好きな時間だけ!
- ヘアカラー・ネイル自由!
- スタッフみんな仲良し!
みたいなバイト感覚では働いて欲しくない。
よそへ行けと思う。
どれだけ続くかは分からないけれど、少なくともこれから会社の看板を背負うことになるのだ。
恥をかくのは、お前だけじゃない。
そーゆーことも教えていかないといけないと思っている。自己啓発を押し付けてるワケじゃない。意識高い系になれと言ってるワケでもない。
クズでもバカでも、化けて乗り切れたらそれでいいのだ。
飛び抜けてないバカでクズならそれくらいは出来る。
【新人なんて出来なくて当たり前】
だから、私は相手がイヤになるくらい同じことを分かるまでクドクド言う。相手はイヤだろうけれど、私も気の遠くなる作業である。
でもその理由までは言わない。なぜそれがダメなのか?そんなこといちいちご丁寧に説明なんかしない。
相手「なぜですか?」と聞いてきた場合にはその限りではない。
失敗しないような指導なんてソイツの身にならないと私は常日ごろから思っている。甘やかしてはダメだ。失敗や躓きがないとソイツはいびつに育ったただのゆとりモンスターにしか化けないと思っている。
ただ会社の看板を背負わせる以上、やたらと失敗させたり、躓かせたりしてもいけない。
出来なくて当たり前。
なので、新人の失敗の責任はすべて指導教官が取る必要がある。取らなきゃいけない。
指導教官が責任をとって頭を下げている姿を見て何も思わないようなヤツはそれまでなのだ。そんなのも含めてイヤになって辞めてくのはソイツの自由だ。
私の【大事に育てるという価値観】は、間違っていないと思うのだが、現代の流行りではないのかもな。
新人を、ゆるーく、ゆとり教育している私より年下の指導教官たちが固まって、新人をディスったり、優劣を付けていたので、
「お前らに指導される新人は続くかも知れないけれど、間違いなく飛び抜けたバカでクズに育っちゃいますよ。今のお前らみたいなヤツだよね。あはは。」
と言ってきました。
指導教官を担当したら、何を言われても相手が根をあげるまではちゃんと指導してあげましょうね。って話と、新人さんは指導教官くらい手玉に取れるようになりましょう。って話です。
あなたがいつか指導側に回ったときは、潔く責任を取れるくらいの器になってたらいいですね。