その昔、ダイエーというショッピングセンターがあった。
いろいろあって現在はイオングループの傘下で変なロゴマークを掲げ細々と営業を続けている。
私の幼少期〜小学生時代は国鉄の払い下げっぽいレトロなバスに乗って祖母とよく行ったものだった。
私はそのダイエーの催し物広場で、荻野目洋子を見たことがある。デビュー当時のドサ周りというやつだろう。
何もこんな田舎で数十人の観客相手に営業なんかしなくたって十分売れていたはずだ。ダンシングヒーローと六本木純情派いうヒット曲を歌っていた記憶がある。平野ノラがよくやってるやつね。
まあそれはどうでもいいのだが、そのダイエーには「ドムドム」というチープなハンバーガー屋があり、私は小学生ながらそのチープで胡散臭さてんこ盛りのハンバーガーが好きだった。
接客は明らかにマクドナルドをパクっていたし、安っぽい紙の帽子(水兵帽みたいなの)もいい味を出していた。
値段はなぜかお高め設定で、よく分からないものをマヨネーズで味をつけ、バンズで挟んだだけの乱暴なハンバーガーを提供していた。今でこそチキンタツタとかベーコンエッグなんかは不動の地位を得たメジャーなバーガーなんだけれど、当時は新し過ぎて誰もついていけてなかったと思う。私は好きだったけれど。
ドムドムはあのマクドナルドと業務提携の話も出てたし(実現せず)、ウェンディーズとくっついたり離れたり、またダイエーグループにもどったものの、撤退を発表されちゃったりしてね。
なかなか私好みのいばらの道を通ってきたハンバーガー屋なのだ。現在のドムドムは全国に50店舗ほどになったんじゃないかな。どんどん閉店しているよ。
私は今でもファンなので見つけたら必ず食うようにしている。わざわざ行くのだ。
以上が前置きでした。
さて本題。
そのダイエー(現在は他のスーパーが入っている)の一階のテナント部分にUベーカリーというパン屋があった。
私はそこのパンも大好きで、いつも大量購入していた。私が好きだったのは、フランスパンの中にサイコロ型のチーズと炒めたタマネギが入った「チーズフランス」だった。今ではよく見るその組み合わせは、当時は斬新ですぐ売り切れる人気商品だったように記憶している。
三角巾を頭に巻き、白とオレンジの縦ストライプのレトロな柄のエプロンをまとったオバちゃんが、銀紙に包まれた小さいマーガリンをサービスでいつも何個か付けてくれていた。
ダイエーの閉店とともにUベーカリーも閉店し、私はドムドムの喪失と同じくらいの喪失感を味わった。
時は流れ、私は今某職業訓練校の臨時講師をしたりしている。本業は医療系だよ。
バカ課長から訓練校の臨時講師の役を引き継ぎ、その訓練校に初出勤したときである。
まさかとは思ったがその訓練校の裏手にあるシャッター街と化している商店街の一角に「Uベーカリー」という見覚えのあるロゴのパン屋がひっそりとした佇まいを見せていた。
Uベーカリーのロゴの後には「本店」と書かれていた。間違っても、
Uベーカリー「Tokyo」ではない。
ダイエーの1階にあったほうが支店だったのだな。
私は妙にテンションが上がってしまい、迷わず店に飛び込み、トレー5つ分というほぼ全種類のパンをレジに持っていった。
オバちゃんはちょっと迷惑そうだったw
あのオバちゃんだ。30年以上前からはだいぶ縒れているが間違いない。
オバちゃんはパンをひとつひとつ袋に入れてくれている。うーん気の遠くなる作業を素早くこなしている。職人技だな。
そして私は気になっていることを聞く。
私「チーズフランスって売り切れですか?」
オバ「あーあれなぁ。お父ちゃん死んでから作る人おれへんようになったさかい、だいぶ前からもうやってないねん。ごめんな」
私「そうですか…」
オバ「昔のお客さんによう作ってって言われるけど、似たようなんしかできへんねん。アンタ昔ウチによう来てくれてはった人?」
私「いえ…人から聞いたものですから」
オバ「アレよう売れとったからなあw」
そしてパンの袋詰めを終えたオバちゃんは、銀紙に包まれた小さいマーガリンをわしづかみにしてバラバラと袋に入れてくれた。これは残してるんだな。
チーズフランス。もう食えないのか。
私もこのオバちゃんも似たようなものじゃダメなのだ。
取り戻せないモノって、生きている以上必ず出てくる。
私はそんな時は潔く封印することにしている。どうにもならないものはしょうがない。
オバ「エエの?8680円やけど?」
…安いものだ。