医療系クズの雑記ブログ

いろいろあってブログ名変えました。クズ上がりです。

クズが通る道と、クズが選ぶ道。みたいな件。

世の中には、私たち以上のクズがいる。当たり前だ。今日もそんなクズのブログをあちこち見て回っていた。

だいたいのクズが開き直っているにもかかわらず、漠然とした不安を抱えているのが文章から見てとれる。

さらっと聞きながして欲しいのだが、少し私の話をしよう。

私はそこそこええトコに生まれ、学生時代は友達もおらず、なんとなくアウェーな感じで過ごしていた。そこそこの進学校に進み国立大学を受験し合格した。もともとクズの素質はあったと思う。大学を中退してからは、パチンコ・パチスロに興じクズ道一直線だった。親の輝くクレジットカードは持っていたが、特にそれで潤っているわけでもなかった。消費者金融で借金まみれでもなかった。バイト→パチンコの繰り返し。ただそれだけの生活だった。借金をしなかったのは、あの時代は現在のような救済措置みたいなのが広まっておらず、情報も少なかった。なので、私たちの年代の人間は、

借金→首吊り。

保証人→首吊り。

サラ金一家離散。

みたいなイメージというか、そんな教育を受けていたと思う。現在のように、ネットで何もかも調べられる世の中に育ったゆとり脳の人は、やっぱりどこか社会をナメていて、どうにかなる・どうにでもなる感覚が、私たちより大きいように思う。

毎日毎日パチンコとバイトの繰り返しでも私は楽しかった。私の1番アツい時代だったと断言できる。そんな私でも漠然とした不安は抱えるようになった。パチンコ・パチスロの出玉規制で、勝つのが難しくなってきたころだ。働くのは嫌いではなかった。パチンコに終止符を打つつもりもなかった。漠然とした不安は【就職】することで消えるような気がして、某資格の勉強をパチンコに興じつつ始めた。その資格は、クズな私にとっての保険みたいなもので、持ってるだけで、少し不安は解消された。吉宗でクソほど負けても、その資格がなんとなく助けてくれていた。その時の両親は、「人生は一度きりだし好きなことしたらいい。でもその結果は誰のせいでもおかげでもないからな。」みたいなことを言っていたように思う。匙を投げた感じでもなかったと思う。

私はチラシに載っていた「未経験可!」みたいな求人を見て、現在の職場に面接に行って運良く拾ってもらえた。今は友人であり上司でもあるバカ課長が、面接に遅刻した上に採用試験もしてない私をゴリ推しで採用したのだそう。就職したら消えると思っていた漠然とした不安は消えることなく、日々私を悩ませた。パチンコでストレス発散どころの騒ぎじゃない。打てば打つほど不安は大きくなった。

ところが、ある程度年を取り、いろんな経験をすることによって「もがいても、なるようにしかなんねえんだな。」そんな感覚が芽生えてきた。「未来とか誰もわかんねえし、わかんないほうが面白い。だから今後悔しないほうを選んだほうが絶対いい。」

こうして現在の私が出来上がった。いろいろあった。パートナーはガンで逝き、私は足の一部を失い、目の後遺症も残り、障害者として残りの人生を生きることになった。

就職してからもしばらくはパチンコを打っていたが、不安は大きくなる一方だったので、あるときスッパリやめた。金を貯めよう。アメリカ行こう。みたいな漠然とした計画を立てた。最初のころは貯金もヘタクソでうまく行かなかったが、50万貯まったら後はすぐだった。50万から49万になってしまう恐怖で貯金には手をつけない生活が送れるようになった。

だから5年。いや3年は煩悩や誘惑に負けるな。私はそれでどうにかなった。

金は天下の回り物。ほんとにその通りで、困ってもどうにかなるもんだ。働いてさえいれば、借金なんかしなくていいような生活に絶対戻れる。

現代のちょっと賢い若者は、目標とか不安とか、ありとあらゆるものが漠然としているから、不安や恐怖を感じるのだろう。漠然としているものを形にするのはいくら年を重ねても難しい。なので私はいつからか、考えることを放棄し、なるようにしかならない人生のほうを選んだのだ。

 

まとめます。

あの時の私は、いろいろ諦めたのではなく、考えることを貯金にシフトしたんだと思います。現在の私は、あの時の私の選択によって生かされてます。(深く考えたことはねえけど)

 

お金はたくさんあったら困るけれど、そこそこなら全然困らないしね。

 

 

全然まとまってねえw。聞き流してくれ。