医療系クズの雑記ブログ

いろいろあってブログ名変えました。クズ上がりです。

放任先生が私に残した課題が簡単そうで難しすぎる件。

どうもこんにちは。ピアノも弾けるクズです。ピアノも弾けますがパチンコも打ちます。どちらが好きかと聞かれたらピアノと答えます。意外と思われることが多いのですが、それにはちゃんと理由があります。

ピアノは金のかからない子

だからです。(買うと高い子なのですが)

それともうひとつ。

ピアノの先生に感謝してるから

です。

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ウチには私が物心ついたときからピアノがあり、それはそこそこ骨董的価値のあるものでした。私は習い事として2歳くらいからピアノを習わされていたらしく、ちゃんと先生について習っていた期間は約20年になります。高校受験のときに1年ほどのブランクはあったものの、一応音大に進むことを前提にピアノは習い続けていました。中学生から高校にかけては、無名・有名問わずピアノコンクールに出まくり、大穴という立ち位置でコンクール荒らし的なこともしておりました。優勝したこともあるし、もちろん予選落ちも幾度となく経験しました。練習に没頭しすぎて指が疲労骨折を起こしたこともあります。ああまたですか。っていうくらい。

いろいろと事情があり結局音大には進まなかったのですが、それでもピアノは続けていたし、先生が亡くなるまではレッスンをつけてもらっていました。音大進学を諦めたころは、先生のとこに行ったり行かなかったりの適当レッスンでした。それでも先生は私がふらっと現れたら、課題曲をくれ、私と先生はその課題曲の解釈や奏法について討論メインのレッスンをしていました。討論が行き詰まったときは、「じゃあ自由に弾いてみなさい。」

 

先生はあるときから、私のレッスンについてはほとんど放置状態で独自の解釈や奏法を楽しんでいるようでした。私のメチャクチャな指使いにも乱暴な解釈にもピタっと発言をやめました。

「それでコンクール出てみない?面白そうじゃない。」

出てみた。審査員特別賞をもらった。本命をおさえて優勝をかっさらった。

こんなことがよくあった。先ほど触れたコンクール荒らしの頃だね。

 

ピアノが好きで続けていたはずなのに、先生と向かうべきところは同じだったはずなのに、私の体たらくで現在のようになっていることを、先生には本当に申し訳なく思っている。

たまに犬の散歩ルートを変え、先生の家の前を通るとたどたどしいピアノの音が聞こえてくるときがある。先生の娘さんがまだ幼いこどもにレッスンをつけているのだろう。

 

そのレッスンをつけられている見たこともない誰かもいつかは「自由に弾いてみなさい」と言われるのだろうか。

 

今日はパチンコに行く気マンマンだったのだが、ピアノを選んだ。先生と創作途中の曲を引っ張りだしてきてとりあえず譜面の指示通りに弾いてみる。

 

こんなの私じゃねえな。

 

仕上げる気もないのだが、まだ仕上がる気配すらない。

 

今まで一人で仕上げてきたつもりだったが、改めて先生の放置レッスンに仕上げられていたような気がしてならない。