医療系クズの雑記ブログ

いろいろあってブログ名変えました。クズ上がりです。

私はしくじり先生になれそうな件。

子供の頃の話をしよう。

私はクラスの人気者か嫌われ者かで言えば嫌われ者だった。理由は明確で、
笑わない、泣かない、喋らない
ガキだったから。
グループを作る時には、必ず残る何人かでグループを作り(教師に作らされていた)遠足や修学旅行などはほぼ一人旅状態だった。その状態を嫌だと思えば自分で何とか出来たであろうから、それは私の中でイジメとはならない。1人が好きだったのだ。
小学校の夏休みは大量の宿題を1週間程で仕上げ、後はのんびりとラジオ体操に行ったり行かなかったり、こっそり校区外へ出てみたり。この校区外というのが、近場の校区外だとすぐに見つかるのだが、私は電車で鳥羽だとか、白浜などの超校区外を堪能していたので教師に見つかった前例はなかった。
そこで何をするかと言えば、海水浴場をボーっと眺めていたり、遊覧船に乗ったりと小学生が1人で行う行動としてはこのご時世では中々危険な事をしていた。でも子供ならではの自分で自分の身を守る術は知っていたし、さほど危険な目に遭った事もない。
朝早くから出かけて、そろそろ日が暮れ始める18時くらいまで街や人の営みを眺めていた。
別に悪い事をしてるワケではなかったので、親も「自己責任で遊べ」とだけ言って、根掘り葉掘り聞いてくることはなかった。
私は子供が好きそうな祭りや花火大会、プールなんかにはまったく興味がなく、驚くほど小学校時代のそういったイベントの記憶がない。
何故か夏休みには書かされる日記的な物にはほぼ嘘を書き連ねていた。
ただ家族旅行だけは楽しみにしていた。寝台特急がまだメジャーだった頃、母親の田舎に帰省するときはブルートレインに乗ってお世辞にも快適とは言えない無駄な移動時間にワクワクしていた。

中学時代もそんな感じで一人で過ごす事が多かった。中学受験で知らない学校で一から始めるチャンスはあったのだが、姉の通学の為の朝5時起床のルーティンを見て育った私は頑なに公立中学への進学を希望した。
高校も「近場でいい」という理由で教師が提示した公立含む10校程の中からアッサリ決めて某私立の進学校へ進学した。
余談だがウチのクールな母親は高校受験の前日に近所のオカマバーのママと自宅で飲んだり騒いだりしていて私の受験にはほぼ無関心だった。
「うるさいんですけど。」
「大丈夫、受かる受かるアハハ」
こんな感じだった。

私が孤独を感じた事がないのは、当たり前のように誰かがそこにいたからなのだ。パートナーが逝った時も例のバカ3人衆が居たし、愛犬も居た。父と母と姉も居た。
自分でも知らない内に誰かに甘えていたのだと思う。
誰かが亡くなっても、それを補うかのように人は入れ替わっては消えていく。
人の営みってこうなんだな…とパートナーが亡くなってから気づいた。

両親も後期高齢者だし亡くなってしまうのはそう遠い将来でもない。

その時の悲しみと人の営みにより新しく私の人生にカットインしてくる誰かを少し期待してバランスを取ってしまおうとしている私は何らかの精神疾患を抱えており、やっぱり

ピアノのツンデレちゃん。
この場を借りて… - 医療系クズの雑記ブログ
より引用


と呼ばれるに相応しいのだな。