昔は良かった。
なんて書くと、ゆとり世代の方やさとり世代の方の罵詈雑言が聞こえてきそうだ。でもほんとにそうなんだもの。これは仕方がない。
もちろん今の便利な世の中も悪くはないのだけれど、なーんかすべてが整理整頓され、すべてが飽和状態のような気がしていて今ひとつ楽しくないのだな。
私の中での昔とは、昭和40年代のギラギラした高度成長期から、いわゆるバブル絶頂期辺りまでのことを指す。
バブル絶頂期はまだ学生だったのでその恩恵はあまり実感できなかった。
むしろバブルには悪印象しかない。学生から社会人になる微妙な時期にバブルが崩壊し、その影響で就職に難儀した記憶しかないのだ。
だからバブルを経験した人とは考え方や行動パターンにそこそこの格差があり、団塊世代・バブル世代・ゆとり世代と呼ばれる人たちとは微妙にズレがある。でも彼らの考え方を否定するつもりは全くない。ただちょっとした違和感があるだけだ。
私は「準団塊世代」にカテゴライズされるらしいのだが、同年代の意見をざっくりまとめると、
「無属性世代」と呼ぶのが一番しっくりくる。
東京オリンピックも大阪万博も経験はしていないが、当時のざらついたVTRや写真を見ると「昭和の血が騒ぐ」とでもいうのだろうか、栄枯盛衰をリアルに感じてジーンとくるのだ。
また私は「昭和の遺産」と呼ばれるような「廃墟」や「古くさいデザイン(昭和モダンとか昭和レトロという言い方は私には美化されすぎててピンとこない)」のものも好きだ。当時は最先端で斬新で新しいものも経年劣化と時代の移り変わりでだんだんと色あせていく様を見ていると興奮する変態なのだ。
昭和の丸みを帯びたおもちゃのような小型ブラウン管テレビ、米をセットしてボタンを押すだけの雑な炊飯器、電気を一切使わないサイケな花柄の保温ポット、今では絶対見ないくすんだ緑色の2ドア冷蔵庫(上が冷凍室)、経年劣化が著しく早い音楽映像メディア、変な模様のだっさいリノリウムや壁紙など。数え上げればキリがないのだが、どれも昭和のギラギラしていた何かがおかしい時代の、今ではセンスを疑うような可愛いやつらなのである。
映画ひとつとってもメチャクチャだった。菅原文太主演のトラック野郎シリーズなどでは「よくそんなロケが公道でできたなー」とか「いやいやいやそれR指定いるやつ!」とか今では突っ込みどころ満載な雑で素晴らしいエンタテインメントだったのだ。
現在では「専門家の正しい指導のもと行っています」だとか「喫煙シーンを誰かに配慮してカット」だとか「製作者の意図をガン無視する突然のピー音と余計な編集」だとか、くだらないことこの上ない。
昔のラブホもそれとわかる「隠微な色使いの看板とミスマッチも甚だしいネーミング(外国都市の名前とか)」(たまに田舎の山奥にひっそり生き残ってるよね)
それらが取り壊されもせず廃墟となり、平成ヤンキーの社交場として賑わいを見せている。
なんてゆーか、私は昭和のメチャクチャでいかがわしい胡散臭さと、人間臭い本能丸出しの雑然とした世界観が好きなんだろう。
グダグダとつまらないことを書いたけれど、この先「若年性老害」とは呼ばれぬよう、とりあえず時代にはついて行かなきゃと思っている。
あ、今日誕生日だわ。免許の更新行かなきゃ。