医療系クズの雑記ブログ

いろいろあってブログ名変えました。クズ上がりです。

昭和の巨人。

久々に当直してきました。6月に職場復帰したときに、バカ課長からは「お前もう当直なしな。」とか言われてしまって、基本的に当直はダメなんだけれど、当直(救急外来とか)はイロイロ面白いので志願したのだ。

まあ同僚Aと一緒という条件でやっと許可してもらったのだが。

で、土曜17:00〜翌8:30まで当直してきました。外国人がわけわかんなかったり、当直医師(研修医)のプライドとやらをズタズタにしてやったり、イロイロ面白かったのですが、その話はまた今度書きます。

 

 

では本題です。宝物入れみたいなかんかんが出てきたのでその話をします。

 

私が小学生だったころの話。

 

イキナリ我が家(実家)に、私と同年代の兄弟がやって来た。見たこともない子達だ。

 

父はその子達と仲良くしなさいと言って、私の隣の部屋を兄弟に与えた。

 

いや、まじでお前ら誰よ?ってな話である。それは後述。

夏休み時期だったのだが、なんとなく知り合いとか親戚んちにお泊りにきましたみたいな感じでもなかった。

 

家出。そう、家出だ。

 

そんなのがしっくりくる感じだった。

学校道具一式と汚い小さめのタンスだけが持ち物だったように記憶している。

私はなんとなく「あ、この子達泊まるんじゃなくて、ここに住むんだ。」と思った。

 

特別うれしいとかイヤだとかいった感情もなかったように思う。

私はクソガキではあったものの、習い事や塾などで、夏休み中もわりと忙しい子供だったので、その子達と遊んだ記憶があまりない。顔を合わせるのはメシを食うときくらいだった。

彼らは遠慮してるのか、兄のほうが弟に「もうお腹いっぱいだよな?な?」みたいな感じでメシを強制終了させていたし、テーブルのお菓子なんかにも手を出そうとしなかった。私は幼いながらも、なにかを察していたのだと思う。その兄弟と特別な絡みはなかったが、お菓子なんかはクッキーの缶みたいなのに入れて彼らの部屋に置いてやっていた。次の日には缶のお菓子は無くなっていたので、私はよしよしと一人でうなずいていた。

 

彼らが住み始めてから数週間で新学期が始まった。

学年も違うので、彼らがクラスでどうなってるかは知らなかった。でも校舎内でたまに見かけたりすると、だいたいいつも兄弟2人で行動してたように思う。

 

私の父親が彼らに気を遣って、日曜なんかは万博記念公園とかエキスポランドに連れて行ってくれた。私はかわいげのない子供だったので、遊園地とかの類は当時から大嫌いだった。

それでも彼らと観覧車に乗って写真を撮ったり、ジェットコースターに乗ったりして、それなりに小学生らしいことをしていた。

 

万博記念公園の近くには、マンモス団地群があり、私はその無機質な巨大建造物が整然と並んでいる風景が好きだった。太陽の塔を始めとする、高度経済成長を象徴する巨人たちだ。

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私の父は、私たちをその巨大な建造物をバックに写真を撮ってくれた。

 

私は写真とか興味なかったので、イロイロ撮った写真は彼らにすべてあげた。彼らはクッキーのかんかんにそれらを集めていたと思う。

 

年が明けた。

正月はそれぞれに「夏休みの旅行で使いなさい。」とお年玉が渡された。

 

夏休みは、私の家族と彼らで白浜に旅行に行った。

今はもうないのだが(廃墟で残ってるかも知れない)、道中「ハマブランカ」で休憩したりした。「ハマブランカ」とは、今でいうスーパー銭湯みたいなもんで、南国をイメージした総合レジャー施設だ。今風に言うと、テーマパークとかかな。屋内ジェットコースターとかもあった。もう色あせた昭和の遺産になる。

 

彼らは数年を我が家で過ごし、上の子が中学生になるはずだった春休み、彼らは突然いなくなった。

 

事情はわからない。

 

身の回りのものだけがなくなっていた。かんかんの写真もそのまま残されていた。

 

父親に「子供には話せない」と言われた。

 

あれから35年ほど経つ。

私は昨年入院していたとき、父親に当時のことを聞いた。父親は教えてくれた。

 

彼らは父親の遠い親戚にあたり、彼らの両親は、彼らを置いて夜逃げしたのだそう。

そして2人を中学を出るまでは、父が面倒をみることにしたそうだ。

 

詳しくは分からないが、春休み中に彼らの両親が迎えに来たのかも知れない。そうであってほしいよな。

 

今私の手元には当時のかんかんがある。中にはだいぶ色あせた写真や、触るとボロボロになる輪ゴムに束ねられたポチ袋、ビー玉、アイスの当たり棒などがある。

 

宝物入れみたいだな。

チョコバットとか懐かしい。ヒットが2枚ある。今でも使えるのかな。

 

彼らからはこの35年ほど一切連絡はない。元気にしてるだろうか。

 

 

彼らが持って行ったのだろうか。

巨人たちと撮った写真だけがなくなっている。

あなたの器は大丈夫?みたいな件。

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こないだのエントリーでちょろっと触れた、【4色ボールペン黒以外残っちゃう問題】

あっさり解決しました。

 

青いらねえから、黒3つにしてほしいです。

 

さて本題。

 

私は人の名前を覚えない。覚えられない。覚える必要がない。

まあそれは、たぶんソイツに興味がないのだろう。さほど関わりを持たずとも生きていけるからだと思う。

患者さんと接するときも、うまい具合に個人情報保護法では、相手の同意を得ないといけないので、「お名前よろしいですか?」とか、「お名前フルネームでお願いします」とか、相手に名乗らせることが自然と出来るようになったのだ。患者さんのご家族はだいたい先に名乗ってくれる。

なので、私にとって人の名前を覚えるという行為は、ケータイが普及してから電話番号を覚えられなくなったように、またナビが普及してから道を覚えなくなったようなものである。

 

しかし、世の中には名前くらいでガタガタ言うヤツもいる。小せえ。

 

ウチの職場は何百人もの職員がいる。いちいち覚えていられない。医師だけでもしょうもない研修医・臨床医も含めると200人くらいはいる。

 

医師はプライドが高い。

 

ドクターズコートを着ているからといって、必ずしも医師ではないのだ。病棟クラークと呼ばれるヤツも着るし、薬剤師も着る。検査部のヤツも着ているし、地連のヤツも着ているな。

 

私にはどいつも同じに見える。

 

今片目が見えないから余計にね。

 

私の名前の覚えなさ加減を知らない新任のヤツなんかは、私が名前を覚えていないと子供みたいにあからさまにむくれるのだ。

だいたいは【先生】の一言で済むのだが、医師が何人かで固まっていると、

 

私も固まってしまう。

 

(…んー。コイツ名前なんだっけ?うわ。ここからじゃ全然名札見えねえな。2回目くらいだったよな。確かこの前は名前くらいで課長にクレーム入れたヤツか。めんどくさいヤツだな。)

 

よし課長に電話。

 

◯科のさあ、チビの若ハゲ誰?

 

課長は優しいので呆れながらも教えてくれる。

器が大きい証拠だ。

 

 

やっぱり困ることは多少なりとはあるのだが、それでも私は名前を覚えない。

 

だって名前くらいでガタガタ言うヤツって【小せえー】と思いませんか。

ブスへの社交辞令は命取りになる件。

花沢がなんか言っている。

 

花沢とは、ご存知サザエさんに登場する、勘違いも甚だしいブスキャラのあの花沢さんである。私は名前を覚えるのが苦手なので、この目の前のブスを花沢と命名してやった。

 

先週の出来事。

 

花沢「Aくんにご飯食べに行こうって誘われたんですー。」

 

へ?お前誰だっけ?イキナリなんだよ。

あ、花沢か。

ああ、アイツ食い意地はってるからな。食いに連れてけだろ?

 

花沢「なんでやねん。誘われたって言ってるやないですかー」

 

ふーん。ブスでも生きてりゃいいこともあるもんだな。

 

花沢「ネットでホルモン屋検索してたら、Aくんが後ろから見てて、”美味そう、今度行こー”だってえ」

 

…それは誘われたことになるのか?

それにしてもブスが食いそうな、それらしい食い物を検索していたものだな。

 

さて部署に戻り、隣のデスクのAに、

私「お前花沢メシに誘ったんだって?」

A「ん?知らんけど。」

私「花沢嬉しそうに言ってきたぞ。」

A「えー。言ったかもだけど忘れた。」

 

だいたいの人はそうだと思うのだが、

 

ブスへの社交辞令的な発言は、ほぼ記憶に残らない。

 

私「花沢しっかり覚えてるぞ。」

A「えー。部署も違うししゃべったこともないんじゃないかなー。」

 

Aのブスとの絡みはこんなものである。

 

A「しゃべったことがあるんだったら、◯◯(私)が復帰したときじゃなかったかなー。」

 

それ、6月の出来事ですよ。

 

ブスはいつまでも覚えているものである。

 

私「まあとにかく、花沢待ってるみたいだから誘ってやれ。」

A「んー機会があったら。」

 

 それで終わったかに見えた。

 

課「おいA。ちょっと会議室。」

Aがバカ課長に呼び出された。

 

Aが戻ってきた。機嫌が悪そうだ。

 

私「どした?」

A「課長に聞いて。(どーたらこーたら…)」

めっちゃ機嫌が悪い。なんだよ。

 

課長にラインを入れた。

私「どしたん?」

課「花沢がAからセクハラ発言されたって」

私「なんて?」

課「後でな。帰り送ってくれ。」

 

足に使われるのはイヤなのだが、面白そうなネタが転がり込んできたので快く引き受ける。

 

課長の話によると、花沢はAから「髪染めたら?」とか、「弁当美味そー。」とか、「家庭的だねー。」とか「あ、いい匂い。柔軟剤?」とかの数々のセクハラ発言をされて困ってるのだそうだ。

 

…それセクハラ発言ですか?

 

課長が言うには、花沢が鼻息を荒くして、

 

それって彼女に言うことでしょ!? ねえ課長、彼女に言うことですよね!?

 

だそうだ。なんかキモチ嬉しそうに言ってきたんだと。

 

ブスこえー。

 

メシの腹いせかなんか知らんが、その手に出てきたか。これは強制的に既成事実を作るキ◯ガイじみた行動に出てきたと思われる。

 

私「おもしれー。んでAになんて言った?」

 

課「花沢と付き合って丸くおさめろ。課長命令だ。」

 

おもしれー。

そういや、デスクに戻ってきたときAはこう言ってたな。

 

 

課長にパワハラされました。

ペーパーレスみたいな件。

人事と財務に用事があって行った。

 

人事では、なにやら内定やら内々定やらの話が出ていて、ああもうそんな時期なんだなあと思った。

続けて、

住民票、年金手帳のコピー、免許証のコピー、マイナンバー通知カードのコピー、車の任意保険証書のコピー、卒業見込証明書、なんかいろいろ。確認でしか使わないようなもん、

 

なんっぽ提出さすねん。内定出しといてそれはないわ。

めんどくせえ行事だよなあ。電子化保存とか出来ねえの?

 

説明会に来たときにでも、原本が必要なモノ以外のモノは持って来させて、ピャッとスキャンして電子化保存したらどうなのよ?

CTとかMRIとか、普通のX線まで電子化保存してんじゃん。

(電画という電子化保存手数料みたいなの取ってさあ)

 

一人当たり10枚以上の紙を整理して保存とかめんどくさいだけやん。まあ私は人事じゃないのでどうでもいいけれど。

 

昔からこうだし。

 

はい出ました。老害発言。やかましいわ。

来年は平成30年ですよ。平成後期生まれの新卒の方はきっと、

どんだけコピーさすねん。

どんだけサインさすねん。

どんだけハンコつくねん。

ピュッとシャッとできねえもんかなあ。あーバカバカしい。

 

とか思ってますよ。

 

さらに彼らには、身元保証書だとか、誓約書だとか、個人情報なんちゃらのやつとか、振込口座だとか、まだまだ記入すべきものがたくさんある。心折れないで欲しい。

 

財務もおんなじ。紙すきだねえ。

 

いやー、もう紙とかいいよ。マジで。

 

さて本題です。

 

我が家にはトイレが2つある。基本的に中二階のトイレがメインなのだが(掃除がめんどくさいという理由で)、友人であるクズたちが来たら1階でも中2階でも勝手気ままに使用する。掃除もしたことないくせに大層迷惑な話だ。

 

我が家にはトイレのルールがある。

「立ちション禁止、便座は掃除以外上げるな、座ってしても立ち上がる前に、便座に気遣ってペーパーでお前の先っちょをチョンチョン拭く」程度のカンタンなやつだ。

 

守らねえやつもいるが。

 

なので、トイレごときでイラッとすることがよくある。

 

先週末の出来事。

 

暴飲暴食禁止の私は、こんにゃくを食い過ぎたのか、なかなか快調で頻繁にトイレに行っていた。

 

またもやもよおして来たのだが、あいにく中2階のトイレは使用中。

プライドを捨てて1階のトイレへ走る。

 

使用中。

 

くそっ。

 

バンバンバン!誰か知らんがはよせえや!

 

やかましいなあ。

主治医である。

コイツのトイレは長い。トイレにタブレットを持ち込んで読書したり、報告書を書いたりするのだ。

 

諦めて中2階のトイレへ行く。

 

コンコン。まだ?

あー今入ったとこー。

 

同僚Aである。

 

バンバンバン!はよ出ろや!バンバンバン!

 

もーやかましいなあ。今入ったとこだっつってんじゃん。

 

………。

 

あーヤバい。このままだと、かかなくていい恥までかいてしまう。

 

1階へ。

 

バンバンバン!とりあえず出すもん出したらすぐ出ろ!

 

 

主治医が出てきた。交代でトイレに駆け込む。

間に合った。さて洗ってチョンチョンしよう。紙へ手を伸ばし、1周2周3…ビリッ!

 

出た。いつものやつだ。

 

クズどもは、あと少しでペーパーが切れるのを分かっていながら、ペーパーの交換をしない。交換がめんどくさいのか、ギリ残る絶妙な加減で使うようにしているようだ。

そして、それが分かってるトイレには入らない。主治医は次は1階のトイレを避けて中2階のトイレに行くはずだ。

 

トイレ横のクローゼットを開け、ペーパーを取り出して下から上へ。一瞬で交換は終わる。

 

トイレから出て主治医に詰め寄る。

 

お前確信犯だろ!あんだけ言っても立ちションするし、紙くらい替えとけ!

 

やかましいなあ。紙くらいで。

 

 

お前ペーパーロスか?

 

 

…えーと。うまいけど、それ使い方あってます?

世代交代を真剣に考え始めたけれど、そうは問屋が卸さない件。

タイトルの通りである。

 

若い方は理解できないかも知れないが、毎日がつらくなってきた。まあなんというか、カラダのガタが目立ってきたとでもいうのか。

 

ソファから立ち上がるとき、

ポキポキ

 

物を拾おうとかがんだとき、

ポキポキ

 

体のあちこちがクラッシュしている。

 

 

仕事上肩こりは避けられないのだが、それによる偏頭痛の頻度も高くなってきたし、ジジババのように睡眠時間も少なくていいみたいだ。寝すぎると頭が痛い。手足の先はいつでも冷たいし、問題の左足もなかなか思うように動いてくれないことにも気づいた。

 

幸か不幸か私は派手な生活さえしなければ、生きていくくらいのお金はある。

障がい者控除などの制度を利用しながらだったり、地価が上がりつつあるこの家を手放したら、クズに戻れるかも知れない。民泊もしたいけれど、体がついていかないかも。

 

犬が逝ったらそうするつもりだったのだが、今かかえてる仕事や、SくんやMくん、シンデレラ予備軍、そして訴訟。それらが済んだら世代交代の時期かも知れない。

 

とか書いてますが、まだもうちょっと先の話になりそうです。

 

世代交代丸投げ有力候補である、後輩のクセにエラそうで、コミュ障だけれどかなり優秀な同僚Aは、

 

はあ?そんなめんどくさいこと絶対イヤなんですけど。

 

いや、お前も歳食ったらわかるわ。

 

はあ?世代交代とかしてほしかったら俺から言うし。

 

出た。ゆとり発言。

 

 

 

あ、養ってくれるんなら考えてもいい。

 

 

それじゃあいつまでたっても世代交代できんだろーがよ。

 

若いっていいわあ。

有効活用で荒稼ぎしたい件。

外国人相手の民泊をやってみたい。

 

我が家は、1階に2部屋とシャワールームとトイレ、中2階にリビング・キッチン・廃家電の墓場(捨てれば部屋として十分使える)・風呂洗面所・トイレ、2階に2部屋ある。

 

友人であるクズたちが泊まりにきたら、なんかテキトーに空いてる部屋を使う。1階と2階には各部屋にベッドがある。クズたちが「ちゃんとベッドで寝たい」というので、夏くらいにAmazonで安い1万円くらいのシングルベッドを追加購入したのだ。

 

じゃあ帰って寝ろよ。

 

金も払わない・掃除もしないコイツらに部屋とベッドとメシを提供するくらいなら、たとえ数千円でも金を取って外国人旅行者に提供したほうがいいような気がしてきたのだ。

 

民泊は想像以上にハードルが高いです。

 

友人でもある主治医からも、

「えー。俺らどこで寝るねん。あかんあかん。却下却下。」

と言われましたが、私はもう民泊をやる気マンマンでイロイロ調べました。

 

やっぱり一般人が民泊をやるのはなにかとハードルが高いです。そりゃ違法な民泊が多いわけだわ。おそらくクズたちも抵抗勢力となり、私の民泊への情熱を阻害してくるでしょう。それもハードルとなり得るので、しばらくは諦めたフリをしておきます。

 

さて本題です。

 

私は過去に犬を連れて田舎の古民家に宿泊したことがある。ペット可・安い・田舎・海の幸で検索していたところ、山陰地方のとあるクソ田舎の古民家がヒットした。

もちろん即ポチで予約をした。

 

古民家ではない、ムダに広いタダのボロ家だった。

見た目は由緒ありそうな歴史を感じさせる重々しい感じで、室内も「サザエさんちの縁側からの和室」みたいな開放感ある広々としたものだ。リノベーションすれば、立地はともかく、ホテルとして絶対生き返りそうな家屋だと思うのだが、なぜ民泊?(合法かどうかは知らない)

イメージ的には「犬神家の一族に出てきそうな家屋である。

 

漁村ではあるのだが、けっこう海から離れた山手にあったため、メシどきにいちいち海側まで行くという行為がめんどくさそうだった。

なので、私たち(パートナー)は、朝メシ用のパンやら飲料やらを買い出しに、車で小1時間ほどかかるAEONまで行くハメになった。

 

もはや旅行ではない。

 

夜は夜で、おいしい海の幸を食いに漁村のメシ屋まで出かけたのだが、車しか移動手段がないため、私は美味い海の幸とウーロン茶をガブガブ飲んでいた。

美味い海の幸と美味い酒。これが旅行の最大の楽しみなのに。

ロクに下調べをしなかった自分を呪ったよ。

 

えーと、風呂は薪でした。もちろんシャワーなんてありません。

なので晩メシを食いに海側へ下りたときに銭湯で済ませる予定でした。一軒だけあった銭湯は20時まで。1日目は風呂入れず。なんでやねん。

 

全然旅行ちゃうやんけ。

 

扇風機しかないムシ暑い夜を蚊帳の中で過ごした。こんな劣悪な環境で過ごすのは、小学校時代の林間学校以来だ。犬たちも一晩中舌を出してハアハアしていた。私は酒を浴びるように飲んで寝ようとしたが、その古民家にはなぜかワンルームに備え付けの小さい冷蔵庫みたいなやつしかなく、大量に買い込んだ飲み物が数本しか入らなかった。クソ暑い夜に、ぬるいビールを飲むというストレスは私をさらに不眠へと追い込んだ。

 

水でも浴びたら?

そう思うだろう。

 

蚊帳はなにも蚊だけの侵入を防ぐものではない。蛾や都会では見たことのない虫などの侵入を防ぐものでもあるのだ。

夜にこの屋敷で蚊帳の外に出るという行為は、はっきり言って怖い。私はトイレに行くのでさえ犬を連れて行ったくらいなのだ。犬もさぞ迷惑だっただろう。

また蚊帳のある部屋の床の間あたりがすげえ怖い雰囲気を醸し出してるんだよ。

 

何が古民家だ。

お化け屋敷じゃねえか。

 

夜はどこかで必ずゴソゴソやらカサカサやらグエッやらドボンやら歩く音やらが聞こえていて、怖い効果音には事欠かなかった。

 

結局翌朝は犬たちの散歩が終わったら、車で小1時間ほどかけて、ブランチがてら町のスーパー銭湯に行った。

 

全然旅行じゃありません。

 

地獄のような休暇が終わり我が家に帰ると、快適な環境下で犬含む全員が死んだように眠った。

 

あの地獄のような環境(怖い効果音含む)は、演出だったんだろうか。どんな形にせよ強烈に記憶に残っている。新手の商法なのか?

 

 

私が民泊をすることになったら、とびきりの演出も用意してやろう。

 

 

諸外国では有名な民泊宿として名を轟かせ、笑いが止まらないほど荒稼ぎしてやろうと思う。

私が課長に惚れた理由。

たまたま直属の上司である課長と昔話をする機会があったので、今日はその話をします。

 

バカ課長がまだバカでも課長でもなかった頃の話です。

 

 以下エントリーで課長との経緯なんかを書いてます。

私が今の職場に決めた理由。 - 医療系クズの雑記ブログ

 

私たちの職場は、思いがけない形で知人や友人、同級生と会うことがある。

 

当時まだ係長だった現課長(ややこしいので課長で統一します)が中学時代の同級生と会ったらしい。

 

同級生の方は「ちょっと体調が悪い」という理由で、初診で来られていた。

ウチは総合病院なので、基本的に初診では紹介状が必要だ。「ちょっと体調が悪い」くらいの理由で初診で来るのは、まあ不自然である。

 

気になった課長は、その同級生の方のカルテを見た。当時は紙のカルテで、まだ個人情報保護法もへったくれもなかった時代だ。

 

【肺癌の疑い】

 

それが同級生の方の病名だった。さらに驚くべきことに、カルテには【生保】の文字があった。

課長は見なきゃよかったと後悔したらしい。

 

課長は数日おきにその方のカルテのチェックをするのがクセみたいになっていた。

その方を病院で見かけたときは、別に悪いことをしてるわけではないのに、課長のほうがコソコソと避けていたという。

 

そして数週間後、病名欄には

 

【T2N2M0 ⅢB】(主)

 

当時の私も見せてもらったが、ものすごく乱暴な字でカルテに書かれていた記憶がある。

 

今だから言えるが電子カルテになってよかったと思う。

 

【T2N2M0 ⅢB】

肺癌ステージ3Bという意味である。3Bというのは、肺以外の他臓器にも転移が見られ、進行も早い状態を指す。

 

もちろん入院だ。生保なので、保険診療はもちろんタダである。

 

課長の同級生の方は、今でいう発達障害だったように思う。

当時の私は「なんか変わった人だなー。」くらいにしか思わなかったが、現在のように発達障害に理解がある社会でもなく、当時の先行きの見えない不景気の中、同級生の方は職を転々とされていたようだ。生保の理由もそこにあるような気がする。

 

課長はよくその方の病室を訪れていた。生保になった理由もなかなか聞けないまま、その方は入院後約半年で亡くなられた。

 

課長はその方が亡くなる数週間前から、福祉事務所や身元引受人の方への連絡などをしていた。

身元引受人の方は、課長の同級生の方を担当していた民生委員の方だった。民生委員の方はその方の身元引受人にされていることは知らなかったそう。同級生の方が勝手に書いたものと思われる。

ご両親は健在だったが、身元引受人になることを頑なに拒否された。理由は誰も知らない。

 

課長は身元引受人になることを買って出た。

 

福祉事務所的にも問題はないそう。生保の方が亡くなると一応最低限の葬儀は執り行ってもらえる。

身元引受人なしでも葬儀は執り行ってもらえるのだが、その後は無縁仏となり、無縁墓地に合祀されてしまう。

素直に、コイツかっけえな。と思った。

 

身元引受人が決まった後、課長がほとんど意識もない同級生の方に取り留めのない昔話をしている風景をよく見かけた。

 

私たちの勤務中にその方は亡くなった。身元引受人である課長に医師から連絡が来たのだが、課長は冷静だった。

すぐ私に霊安室の手配と通路の確保を命じて病室に向かった。

ウチの病院では、その方にかかわった全員で霊安室まで見送るというルールがある。他でもだいたいそうなんじゃないかな。

 

手配を終えた私も病室へ向かったのだが、ドア越しに課長の嗚咽が聞こえてきたので、なんか入りづらくて病室の前で待っていた。

 

30分ほど待って課長が出てきて待機していた看護師に「始めましょうか」と言ってエンゼルケアを始めた。

 

私「あ、手伝います」

課「お前はいい。20分後に5番エレベーター確保しておけ」

 

エンゼルケアと呼ばれる死後の処置はおよそ30分ほどで完了し、課長の私服に着替えた同級生のご遺体が運び出されてきた。

 

霊安室まで全員で見送ると課長は深々と私たちに頭を下げた。

 

二つ三つ年齢が違うだけなのに、どうしてコイツはこうも私と違うのだろう?そう思って恥ずかしくなった。

 

 

翌日。

葬儀屋がご遺体を迎えにきた。

私もなんとなく課長にくっ付いて行ったのだが、職員専用入口付近には、医師や看護師たちがほぼ全員集まっていた。課長の同級生の方は、約15名ほどの関係者に見送られながら、2日後の火葬まで葬儀屋で安置するため引き取られて行った。

 

課長は帰り際、

課「まあお前は関係ないんやけど、来れるなら来てやってくれ。」

 

課長から頼みごとなんて珍しい。基本私は仕事上奴隷のように扱われていたはずだ。

 

課長がそう言うならそうしよう。

 

少し遠慮してなんとなく「行ってもいいですか?」と聞けないでいたのだが、来いというならぜひとも行きたい。

 

火葬当日。

雪が降ってもおかしくない、冷たい曇り空の中、火葬場に集まった人は葬儀屋以外では課長と私だけだった。

 

お別れのときである。

課長は棺にセブンスター1カートンと中学校の卒アルを入れていた。

 

火葬が済むまで1時間ほどある。

 

私「遺骨は?」

課「身元引受人だしな。俺が引き取って、同級生の寺に預かってもらう。」

 

私はこの出来事あたりから、課長が大好きになっていて、コイツに付いて行って間違いなさそうという確信に近いものが生まれた。

 

それからだ。仕事を前にも増して真剣に取り組んでまず同じ土俵に上がり、課長がやっていた仕事を片っ端から引き継がせてもらって、訓練校の臨時講師やら行政やらを好き勝手にイジるようになったのは。

 

今はクズでどうしようもないバカ課長だけれど、係長時代は本当にカッコよかったのだ。

 

 

コイツに拾われなければ私は過払金請求する側に回っていたのかしら。