医療系クズの雑記ブログ

いろいろあってブログ名変えました。クズ上がりです。

私が課長に惚れた理由。

たまたま直属の上司である課長と昔話をする機会があったので、今日はその話をします。

 

バカ課長がまだバカでも課長でもなかった頃の話です。

 

 以下エントリーで課長との経緯なんかを書いてます。

私が今の職場に決めた理由。 - 医療系クズの雑記ブログ

 

私たちの職場は、思いがけない形で知人や友人、同級生と会うことがある。

 

当時まだ係長だった現課長(ややこしいので課長で統一します)が中学時代の同級生と会ったらしい。

 

同級生の方は「ちょっと体調が悪い」という理由で、初診で来られていた。

ウチは総合病院なので、基本的に初診では紹介状が必要だ。「ちょっと体調が悪い」くらいの理由で初診で来るのは、まあ不自然である。

 

気になった課長は、その同級生の方のカルテを見た。当時は紙のカルテで、まだ個人情報保護法もへったくれもなかった時代だ。

 

【肺癌の疑い】

 

それが同級生の方の病名だった。さらに驚くべきことに、カルテには【生保】の文字があった。

課長は見なきゃよかったと後悔したらしい。

 

課長は数日おきにその方のカルテのチェックをするのがクセみたいになっていた。

その方を病院で見かけたときは、別に悪いことをしてるわけではないのに、課長のほうがコソコソと避けていたという。

 

そして数週間後、病名欄には

 

【T2N2M0 ⅢB】(主)

 

当時の私も見せてもらったが、ものすごく乱暴な字でカルテに書かれていた記憶がある。

 

今だから言えるが電子カルテになってよかったと思う。

 

【T2N2M0 ⅢB】

肺癌ステージ3Bという意味である。3Bというのは、肺以外の他臓器にも転移が見られ、進行も早い状態を指す。

 

もちろん入院だ。生保なので、保険診療はもちろんタダである。

 

課長の同級生の方は、今でいう発達障害だったように思う。

当時の私は「なんか変わった人だなー。」くらいにしか思わなかったが、現在のように発達障害に理解がある社会でもなく、当時の先行きの見えない不景気の中、同級生の方は職を転々とされていたようだ。生保の理由もそこにあるような気がする。

 

課長はよくその方の病室を訪れていた。生保になった理由もなかなか聞けないまま、その方は入院後約半年で亡くなられた。

 

課長はその方が亡くなる数週間前から、福祉事務所や身元引受人の方への連絡などをしていた。

身元引受人の方は、課長の同級生の方を担当していた民生委員の方だった。民生委員の方はその方の身元引受人にされていることは知らなかったそう。同級生の方が勝手に書いたものと思われる。

ご両親は健在だったが、身元引受人になることを頑なに拒否された。理由は誰も知らない。

 

課長は身元引受人になることを買って出た。

 

福祉事務所的にも問題はないそう。生保の方が亡くなると一応最低限の葬儀は執り行ってもらえる。

身元引受人なしでも葬儀は執り行ってもらえるのだが、その後は無縁仏となり、無縁墓地に合祀されてしまう。

素直に、コイツかっけえな。と思った。

 

身元引受人が決まった後、課長がほとんど意識もない同級生の方に取り留めのない昔話をしている風景をよく見かけた。

 

私たちの勤務中にその方は亡くなった。身元引受人である課長に医師から連絡が来たのだが、課長は冷静だった。

すぐ私に霊安室の手配と通路の確保を命じて病室に向かった。

ウチの病院では、その方にかかわった全員で霊安室まで見送るというルールがある。他でもだいたいそうなんじゃないかな。

 

手配を終えた私も病室へ向かったのだが、ドア越しに課長の嗚咽が聞こえてきたので、なんか入りづらくて病室の前で待っていた。

 

30分ほど待って課長が出てきて待機していた看護師に「始めましょうか」と言ってエンゼルケアを始めた。

 

私「あ、手伝います」

課「お前はいい。20分後に5番エレベーター確保しておけ」

 

エンゼルケアと呼ばれる死後の処置はおよそ30分ほどで完了し、課長の私服に着替えた同級生のご遺体が運び出されてきた。

 

霊安室まで全員で見送ると課長は深々と私たちに頭を下げた。

 

二つ三つ年齢が違うだけなのに、どうしてコイツはこうも私と違うのだろう?そう思って恥ずかしくなった。

 

 

翌日。

葬儀屋がご遺体を迎えにきた。

私もなんとなく課長にくっ付いて行ったのだが、職員専用入口付近には、医師や看護師たちがほぼ全員集まっていた。課長の同級生の方は、約15名ほどの関係者に見送られながら、2日後の火葬まで葬儀屋で安置するため引き取られて行った。

 

課長は帰り際、

課「まあお前は関係ないんやけど、来れるなら来てやってくれ。」

 

課長から頼みごとなんて珍しい。基本私は仕事上奴隷のように扱われていたはずだ。

 

課長がそう言うならそうしよう。

 

少し遠慮してなんとなく「行ってもいいですか?」と聞けないでいたのだが、来いというならぜひとも行きたい。

 

火葬当日。

雪が降ってもおかしくない、冷たい曇り空の中、火葬場に集まった人は葬儀屋以外では課長と私だけだった。

 

お別れのときである。

課長は棺にセブンスター1カートンと中学校の卒アルを入れていた。

 

火葬が済むまで1時間ほどある。

 

私「遺骨は?」

課「身元引受人だしな。俺が引き取って、同級生の寺に預かってもらう。」

 

私はこの出来事あたりから、課長が大好きになっていて、コイツに付いて行って間違いなさそうという確信に近いものが生まれた。

 

それからだ。仕事を前にも増して真剣に取り組んでまず同じ土俵に上がり、課長がやっていた仕事を片っ端から引き継がせてもらって、訓練校の臨時講師やら行政やらを好き勝手にイジるようになったのは。

 

今はクズでどうしようもないバカ課長だけれど、係長時代は本当にカッコよかったのだ。

 

 

コイツに拾われなければ私は過払金請求する側に回っていたのかしら。