タレントの小林真央さんが自宅で亡くなったそうだ。
自宅療養に切り替えた時点で、たぶんみんな察しはついていたと思う。
私も、昨年パートナーが癌で亡くなった。体の異変を訴えて、癌(ステージ4)と診断されてから僅か1年だった。手術のため即入院。本格的に寒くなり始めた11月半ばの出来事だ。16時間に及ぶ大手術だった。複雑かつ難易度の高い術式らしく、先生たちも成功率の明言を避けたくらいだったのだ。気が狂いそうな一日だったと記憶している。ICUで生きてる姿を見たときには倒れこそしなかったが、その場にへたり込んだ。
そこそこ若いほうだったので先生たちもびっくりするほど回復は早かった。しかし若いがゆえに、転移と進行も早かったのだ。
最初の手術から一カ月ほどで2回目の手術となった。クリスマスイブだった。
しかし、転移場所が悪く手術による摘出は困難を極めたため、結局癌は残ってしまった。
そして放射線治療が始まった。照射部位は食道付近だった。食事(飲み込み)が困難でなるであろうと予測できたため、胃ろう(お腹と胃に穴を開けてチューブで直接食事を注入するためのアタッチメント取付)の手術も行なった。予想は的中し徐々に飲み込みが困難になり、ついには胃ろうでの栄養摂取となった。みるみるうちに骸骨のようにやせ細っていった。放射線治療は本当に辛かったようだが、治療をやめたいとは亡くなるまで一度たりとも口にしなかった。
手術と放射線、抗がん剤治療で一時は回復したかに見えた。そしてGWが終わり日中の気温もぐんぐん上昇し出す5月下旬「故郷への帰省」のため、一時退院が許された。
最後の帰省になってしまった。
だんだんと抗がん剤治療も効果が薄くなり、故郷への帰省から半年後にこの世を去ることになるのだが…
私も梅雨が明けた頃、体調を崩し同じ病院に交代で入退院を繰り返していた。家には高齢犬が2匹おり誰かしら世話をする人間が必要だったため、先生方と調整に調整を重ねて家には常にどちらかが居るように治療スケジュールを組んでいただいた。11月にパートナーが亡くなることになるのだが、犬2匹を含む私たちはあのタイミングであの先生方に治療をしていただいたからこそ生きていられたのだ。そして現在私と犬2匹はなんとか生きながらえている。しかし命を繋いだはいいが、その先の「命を紡ぐ」方法がわからないのだ。毎日の暮らしに負けそうになりながらも犬たちとこじんまりとした世界を守るだけで精一杯なのだ。
主治医にはつい数日前に墓参りで行った鹿児島の手土産と一緒に感謝を伝えたのだけれど大げさだと笑われてしまった。本当に感謝しているのだけれどね。うまく伝わらない。ちゃんと喋ろうとすると誰かれ構わず慇懃無礼な感じになるのを自覚している私は、無礼を承知でいつも主治医にはタメ口なのだ。リスペクトゆえのタメ口とでも言うのだろうか。だからだよ!てのはなんとなーく自分でも気づいている。そんな私を主治医はいつも温かく雑に診察してくれている笑
私はまだいわゆるロス状態なので今は年老いて目も見えにくくなった犬たちがすべてなのだ。手ずから食べ物を与え、水を飲むところへ連れて行く。どちらかが交代で毎日のように嘔吐や粗相もするし、目が見えない子は不安からか夜泣きもする。そんな時は落ちつくまで体に触れながら付き添ったりするのだ。犬たちも私がすべてなのだ。そんな犬たちが本当に愛おしくてしょうがないのだ。
その犬たちもやがては順番に亡くなるだろう。私にはその先がまったくわからないのだ。考えたくもない。だから私の主治医やパートナーを診てくださった先生方には本当に感謝を伝えておきたいのだが。
どうすればいいか公募してみようかな。
いい案ある?
話はそれたが、10月から在宅療養に切り替え、抗がん剤治療のため通院という形を取っていたのだが、10月下旬あたりから自力で立つこともできなくなり緊急入院。
集中治療で少しは元気になったが、この先の展開は本人以外は誰もが分かっていた。何も分からなくなる前に先生にお願いして二人だけの時間を作っていただき、私は「最後にしたいこと」を聞き出し行動を起こした。看護師さんたちも協力してくださり最後の願いは叶えられた。その後「治療の終わり」を告げた。「もうあかんの」「うん、もうあかんねん」
「そっか」初めて見せた諦めの顔。
そしてたどたどしくこう言った。「あともうちょっとだけめんどうみてくださいおねがいします」
そして私は夢でも幽霊でもどんな姿形でもいいから必ず会いに来いと固く約束を交わした。
それからは痛み止めのモルヒネを追加し続け、常に意識はもうろうとしており、話すことすら出来なくなっていた。
「じゃあまた明日」
そう言って病院を出た二時間後、先生から呼び出しがかかる。あわてて向かうが病院への道中に再度電話。訃報だった。
それから私は淡々とエンゼルケアと呼ばれる仏のケアや退院手続きをし、日付けが変わった頃自宅に着いた。
小林真央さんもご家族も幾度となく心が折れそうな気持ちで闘病生活を続けていたのだろう。
私は小林真央さんの容態をパートナーと重ね合わせずっと注目していた。彼女は強い。家族への愛情が深いからこそ辛い治療を続けていたのだ。放射線治療や抗がん剤治療が辛いのは本人だけではない。見ている周りのものも非常に辛いのだ。代わってあげたいと本当に思うのだ。姉の小林麻耶さんが本当に心配だ。私がかつて経験したことを彼女は今までもこれからも経験していくのだから。
終末期。
それは残される者に究極の選択を強いる。
頑張って生きてほしいという願いと、もう楽にしてあげたいという思いが複雑に絡み合うのだ。私も幾度となく辛い選択を迫られた。
最後を告げる役目は二度としたくない。トラウマものだ。
突然の小林真央さんの訃報であの頃を(そんな前ではないけど)ちょっと思い出しちゃったなあ。あ、今現在パートナーはまだ会いに来てくれていない。ドアの向こうの誰かかも知れないけれどね。
ご遺族の方へ。
この度の訃報、心よりお悔やみ申し上げます。ご遺族様の心中お察しいたします。
小林真央さんのご冥福を心よりお祈りしております。